
私は多良間村で生まれました。中学1年生の時、高校進学で沖縄本島に出ていた兄が帰省した時のこと。部活動で空手をしていた兄が「おまえもやってみたら?もしかしたら日本一になれるかもしれないよ」という会話をしたんですね。その時はとくに気にもしていませんでしたし、このエピソードもずっと後で思い出した位なんです。小中と陸上部に所属、高校もそのつもりでしたが、1年間浪人生活を送ることに…。運動ができない毎日は辛いものがありました。1年後、浦添高校に入学。陸上部がなく、そこで、空手部に入部したのです。そうしたら、空手世界一の佐久本先生がいらっしゃったんです。目標は常に全国制覇。優勝以外は考えられないという部活動がスタートしました。しかし、高1で出場した全国大会で準優勝という結果。それから、さらに厳しい稽古がスタートしました。そして、1991年全国高校選抜空手道選手権大会で個人形優勝、団体形優勝という結果を得ることができました。その後もインターハイで個人形優勝をさせていただくなど、充実した高校生活を送ることができました。

実は、大学4年間は全く空手とは無縁の世界にいました。まわりは体育の先生になって空手の指導にあたる人生を選ぶものだと考えていたようですが、元々、人前に出ることが苦手な私は、自分が鍛えられる立場であれば頑張れたのですが、人を教えることなんて絶対無理だと思ったのです。そこで、社会福祉を専攻し、ビーチバレーを楽しんでいましたが、大学4年間に自分から空手を取ったら何も残らないということに気づかされました。そして4年生の時、そんな私の心を知っていたかのように、再び佐久本先生からお声がかかったのです。ちょうどその頃、県立武道館が開館することになり、そこで落成記念大会として沖縄空手道・古武道世界大会が開催されることになりました。そのため稽古に励み、選考会に出場しましたが、選出されませんでした。これは悔しかったです。佐久本先生の口から「どうするか?やめるか?」と言われました。そして、言葉を続けて「沖縄県一、日本一、世界一どちらになりたいんだ?」と尋ねられました。その時「目標は世界一」が決まったのです。そして、私の生活は空手中心へと再スタートをきりました。1997年に帰沖。大学で学んだ福祉と練習の両立の生活が始まりました。しかし10月の国体を迎える際には移動の時間ももったいないということで、仕事を退め空手に専念する事を決めました。県立武道館完成と同時にアルバイトで受付をし、仕事が終わるとすぐに稽古ができる体制を整えました。しかし、ナショナルチームには選ばれず、26歳の時、やっと選出されました。まわりは私より年下ですが、ナショナルチームの経験者としては先輩という立場でした。そして、2002年スペインで開催された世界大会に団体形出場しましたが、結果は準優勝。悔しさに眼を伏せていると、プレゼンターが「スマイル!貴方達は167ケ国4000万人のうちの2位なのですよ。もっと誇りを持って!」と声をかけてくださいました。この言葉は暖かく胸に響きました。そして、2位の表彰台に立った私はこぼれ落ちそうになる涙を必死で堪えここで悔し涙を流す訳にはいかない、私が表彰台で流したい涙は悔し涙ではなく、表彰台の一番高いところに立って嬉し涙を流したいのだと再び世界一を心に決めました。
 戻ってきて勝てなかった原因を分析。稽古時間はいくらあっても足りないという状況でした。また、平常心が大切であることから、IDBなど、世界のVIPの中(御前)での演武も数多く出させていただきました。佐久本先生はご自身のトレーニングを重ねながら、1日9時間も私達の稽古を見てくださっている…。これは頑張らねばという気持ちになりました。そして、2004年、第17回世界空手道選手権大会にて、団体形優勝をさせていただきました。この時、佐久本先生もナショナルチームコーチとして同行されていましたので、祝杯をあげる際に、先生に3個の金メダルをかけて差し上げることができました。とても嬉しかったです。
 昨年の世界大会で個人、団体ほぼ優勝圏内と言われていたにもかかわらず、結果はふるいませんでした。しかし、4年間のブランクを経て1997年再び空手に出会い、私は選手としてこれまで佐久本先生から学んだ事、また私自身の力をすべて出しきったと思えることができました。そして、今は指導者の道をスタートさせています。選手時代から、佐久本先生の「道場を持ちなさい」というご指導によって、2000年から週2回お子さんと大人のクラスを持っています。また、2001年からは琉球大学で非常勤講師として大学生に空手を指導しています。さらに2004年からは、那覇市教育委員会の派遣事業として、幼稚園から中学校までを対象とし、子ども達に空手を教えています。子ども達からいっぱいのエネルギーをもらっていまして、とても充実しています。
これまでの選手生活で得たものそして、選手として佐久本先生に指導していただいたことを、これからは、私が指導する立場として、子ども達や多くの方々に還元していけたらとお役に立てたらと考えています。そうする事がこれまで多くの時間をかけて指導なさってくださった佐久本先生への恩返しにつながるのかなと思います。子ども達はたくさんの可能性を持っています。みんなが空手の選手をめざさなくてもいいんです。空手を通して一生懸命になれるものに出会える素晴らしさ、人との出会い、相手を思いやる心、自分を鍛えていく術、自分自身に対しての自信、何事にもチャレンジする勇気などを学んでもらえればと考えています。もちろん、空手を本格的に学び、私達のように「世界一」を目指し沖縄から多くの子どもたちが世界へと羽ばたいていただければ、これはうれしいですね。また、中には57歳の女性の方もいらっしゃいます。「不眠症や肩凝りがよくなりました。仕事で疲れた時は稽古を休みたくなりますが、来て汗をかいたらスッキリします」とおっしゃってくださいます。これからは、空手を通して人生を豊かにするお手伝いができればとも考えています。
「自分は先生になんてなれない」と思っていた私が、選手生活を終えて、今、指導者の道を進み始めました。これは、空手と出会えたこと、恩師と出会えたことにあり、感謝の気持ちとともに、これからますます頑張っていこうと思っています。
|