
豆腐を商っていた祖母の影響が大きかったと思います。現在のようにグルメの時代ではなかった昭和30年代当時、日常会話の中に、「◯◯のそばはおいしい」など、食の話題がいつもあり、豆腐づくりをしながらいろいろなことを教えてもらっていました。自宅から少し離れていましたが、祖母のそばに居たいために土・日は泊まり掛けで出向くという具合。小学4年生の頃には料理人を夢見るようになっていたのです。そして、高校の調理科に進み、ホテルに28年間勤務しました。身近な祖母の存在が今の私を作ったのです。

ありがとうございます。フランス料理アカデミー(アカデミー・キュリネール・ド・フランス)は、1883年、世界料理辞典の著者であるジョゼフ・ファーブル氏が「料理芸術発展のための世界連合」として創設したのが始まりです。1888年以降、ニューヨーク、マドリッド、ローマ、ロンドンと次々に支部が創設されました。1968年にスタートした日本支部の会員は現在、186名となっています。
このご縁となったのが35歳の時、切望していたフランス留学を果たしたことに起因します。パリにある「エコール・フェランディーフランス料理上級学校」で1年間学ぶ機会に恵まれ、卒業試験では、首席をいただくといううれしい結果を得ました。そして17年後の2005年9月、今度は審査員として招いていただき、ひいてはこの度フランス料理アカデミーの入会が認められることになったのです。
 「沖縄にいるよりも中央に出た方がよいのでは?」と言われることがあります。もちろん、起きている間、四六時中料理のことを考えているような人間ですので、ホテル勤務時は、フランス、東京、京都、名古屋とさまざまな地域で、その場でしか学べないものを吸収しようと精力的に動きましたし、今でも時間をみつけては、食を旅するため外へ積極的に出ています。しかし、生まれ育った沖縄こそ私の拠点なのです。
我々の先人は、遥か琉球王朝時代より、海洋国家の名を欲しいままにし、中国、東南アジア諸国との交流の中から、この地の気候風土に適した独自のレシピに発展させ、「琉球料理」として現在まで継承して参りました。芸能や工芸と並ぶ食文化がこれまで連綿と受け継がれてきたことは、誇りであり、これまで尽力されて来られた諸先輩方に対し、深く敬意を表するものであります。そこで、私は、今を生きる料理家として自分が何をなすべきかと考えたのです。その答えは、沖縄を拠点にその歴史をベースにした新たな琉球料理の創造です。料理の世界は、フレンチ、イタリアン、日本料理、中華料理…と、国境を越えて、常に変革を重ねながら進化してきています。地球は狭くなったと言いますが、相互間の影響はこれからますます顕著になっていくものと予想されます。私は、幼いころより私の血となり肉となっている沖縄の食をベースに、成人して学んだ料理のすべてを活かしながら、新たな琉球料理の世界を創造していくことこそ使命であると考えるようになり、試行錯誤を重ねながら、新・琉球料理に取り組んでいます。沖縄を拠点とする理由はここにあるのです。
料理の進化は古典とモダンのキャッチボールが繰り返されていくことによって実現していきます。新しいものがないと古典は埋没していきます。京都・フランスが古典の香りを残しながら常に進化を続けている理由は、新しいものを取り入れる進取の気概があるからなのです。今、フランスの料理人が興味を示しているもの、それがかつお節や昆布などの和の世界。日仏の新たな地平がもうそこまで見えています。このような時代の渦中にあるポジションを見据えながら、私は沖縄で、私がこれまで培ってきたものをベースに創造を進めていきたいと考えています。「沖縄にいるよりも中央に出た方がよいのでは?」と言われることがあります。もちろん、起きている間、四六時中料理のことを考えているような人間ですので、ホテル勤務時は、フランス、東京、京都、名古屋とさまざまな地域で、その場でしか学べないものを吸収しようと精力的に動きましたし、今でも時間をみつけては、食を旅するため外へ積極的に出ています。しかし、生まれ育った沖縄こそ私の拠点なのです。
我々の先人は、遥か琉球王朝時代より、海洋国家の名を欲しいままにし、中国、東南アジア諸国との交流の中から、この地の気候風土に適した独自のレシピに発展させ、「琉球料理」として現在まで継承して参りました。芸能や工芸と並ぶ食文化がこれまで連綿と受け継がれてきたことは、誇りであり、これまで尽力されて来られた諸先輩方に対し、深く敬意を表するものであります。そこで、私は、今を生きる料理家として自分が何をなすべきかと考えたのです。その答えは、沖縄を拠点にその歴史をベースにした新たな琉球料理の創造です。料理の世界は、フレンチ、イタリアン、日本料理、中華料理…と、国境を越えて、常に変革を重ねながら進化してきています。地球は狭くなったと言いますが、相互間の影響はこれからますます顕著になっていくものと予想されます。私は、幼いころより私の血となり肉となっている沖縄の食をベースに、成人して学んだ料理のすべてを活かしながら、新たな琉球料理の世界を創造していくことこそ使命であると考えるようになり、試行錯誤を重ねながら、新・琉球料理に取り組んでいます。沖縄を拠点とする理由はここにあるのです。
料理の進化は古典とモダンのキャッチボールが繰り返されていくことによって実現していきます。新しいものがないと古典は埋没していきます。京都・フランスが古典の香りを残しながら常に進化を続けている理由は、新しいものを取り入れる進取の気概があるからなのです。今、フランスの料理人が興味を示しているもの、それがかつお節や昆布などの和の世界。日仏の新たな地平がもうそこまで見えています。このような時代の渦中にあるポジションを見据えながら、私は沖縄で、私がこれまで培ってきたものをベースに創造を進めていきたいと考えています。
 新・琉球料理の創造を究めることも目標のひとつですが、家族のためにおいしい家庭料理を作りたいという生徒さんのための充実した指導を重ね続けていくことも私のつとめであると考えています。
エスカル・クッキングスタジオを立ち上げて5年になります。出張で沖縄を離れている時以外は、休日も必ずスタジオに出て、ずっと料理のことを考えています。現在、百数十名の生徒がいますが、ひとまとめと考えず、一人ひとりと対峙する姿勢で向き合っています。わからない時は理解できるまでしっかり教授していきます。これは基本ですね。ひとつプロセスがわからないということはずっと間違った方法を取ることになりますので、生徒さんが質問しやすい雰囲気を作ることも大切にしています。家族のためにおいしい料理を作りたいという生徒さんの気持ちを大切にしてさしあげたい…。家族は料理によって繋がっていると私は確信しています。家族の有り様について考えなければならない今、「プロのエッセンスのある家庭料理」を通じてその力になれればと考えています。60歳代の男性の方の例ですが、習った正月料理を披露した1年目は家族から「おいしい」という声がかかったそうです。これが喜びとなり2年目は親戚にふるまい、3年目以降は恒例の楽しみとなっているそうです。こうして、「習った料理が我が家の味」になっていき、代々受け継がれ、伝統となっていくのです。このようなエピソードをうれしく伺いながら、裾野が次第に広がっていく喜びを実感します。
今後は、これまで作ってきた人脈を活かしながら、沖縄と東京・フランスを繋ぐことができたらと考えています。来月には、東京において中村勝宏ホテルメトロポリタンエドモンド名誉総料理長を講師にした特別講習ツアーを実施します。近々には、沖縄へ国内外の一流の料理人を招いて、新・琉球料理をご披露し、沖縄の存在を知っていただけたらと考えており、微力ながら食文化の伝道師というポジションを確立していければと考えています。今、スタートラインについたばかり、これから何をなすべきかを常に意識しながら、沖縄の食文化の底上げのために努めて参りたいと考えます。
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