ぱっしょんリーダーに聞け! 


  



  


 はい、お陰様で昨年40周年の節目を迎えまして、記念の年に専務理事を仰せつかりました。しかし、40周年はあくまでも通過点であり50周年に向け、さらに大きくはばたく10年間のスタートの年として位置付けております。  沖縄県サッカー協会は、1966年4月に発足しました。その時期、私は小学生で、今思えば発足からしばらくした頃、初代理事長である天願清昌先生から、小学校の近隣にあった琉米文化会館で初めてサッカーを教えていただいたことがサッカーを始めるきっかけとなりました。もうサッカーに夢中になりまして、そして、中学2年生の時、一生サッカーに関わっていたいと考えるようになっていきました。  協会創立当時は復帰前のこと。先輩方のお話によると、大会と言えば「琉米親善高校サッカー」という大会に6校が参加している程度で、米軍の軍用トラックに揺られて試合は基地の中で行っていたそうです。サッカーに詳しい人物は天願清昌先生唯一といっても過言ではなかったそうで、天願先生を中心に高校の先生方が尽力された…。ですから、沖縄のサッカーの草創期は、高校サッカーがきっかけだったといえます。



 第一のエポックといえば、やはり、本土復帰記念として開催された若夏国体でしょう。国体を成功させようという機運の高まりと共に、サッカーを含め沖縄県全体がスポーツを通してひとつになった時でした。これを機にサッカーへの関心も高まっていったと思います。当時、私も高校生でしたが、今でもあの高揚感は忘れられません。次のエポックはやはり海邦国体でしょう。私も審判員として関わらせていただきました。海邦国体の開催によって、選手強化、審判技術向上など、多くの成果がありました、中でも島嶼県である沖縄において、大きな果実となったのは、パイプ作りです。海邦国体をきっかけに指導者間の交流が生まれ、さらなる選手強化が実現できました。このように、エポックを重ねる度に次第に足下の強化が行われ、現在では、那覇西高校のインターハイ準優勝、我那覇和樹選手の日本代表選手という快挙、ついに昨年は国体少年の部が優勝するというレベルにまで達しました。このように、確実に一歩一歩成果を挙げていることは実に喜ばしいことです。また、キッズサッカー、女子サッカー、シニアサッカー、フットサル、ビーチサッカーなども著しい成果を挙げており、老若男女問わず、ますますサッカーの輪が広がっています。



 第一の目標は、サッカースタジアムの建設です。協会内でサッカー施設建設等ワーキンググループを結成し、これまで、単発で話し合いが持たれてきましたが、昨年40周年を機に、8月に全理事、委員会代表50名を集めて宿泊勉強会を実施しました。各々仕事を持っているためなかなか全員が出席して長時間会議を持つことは厳しい中、集中して討議を重ねた結果、大きな成果を挙げることができました。先月5月には、「おうのやまの杜 サッカースタジアム整備計画(第一次案)」を沖縄県へ提案することができました。単なる夢ではなく、実現に向けた具体的案をお出しできることができ、大きな第一歩を踏み出すことができたと思います。まず、立地提案ですが、「おうのやまの杜」の名の通り、那覇市奥武山としました。これは、新たな用地取得を必要とせず、用地買収の費用がかからないこと、沖縄県のスポーツにおける聖地であること、交通アクセスがよいこと、地域防災センターの拠点化が可能であること、那覇空港、那覇港、泊港、安謝港に隣接し、離島、県外、東南アジアから多数のサポーターや観光客の訪問が期待できることなどが挙げられます。今回は、第1回の行動となりましたが、今後は、関係各機関への要請行動、キャンペーンの実施、県外サッカースタジアムの視察など、段階的にアクションを起こしていきます。サッカースタジアムの実現は、単にサッカー振興に限るものではありません。観光、教育、雇用など、沖縄県のさまざまな分野に関わってくるもので、後の世代へつなぐ大きな財産となります。我々世代は、サッカーという宝物を先輩方からいただきました。今度は次世代へどのようにつないでいくかを熟慮し行動し実現しなければならない立場にあるのです。  昨年、お陰様でJFAスポーツマネージャー資格を取得しました。これは地域型総合クラブのリーダーを養成するために日本サッカー協会によって、ワールドカップ利益余剰金を基に2004年に創設されたものです。年10回上京し、30日間の研修を受けるもので、沖縄県サッカー協会から年間100万円を捻出してもらいましたので、責任重大です。財務関連、指導方法、経営などについてみっちり勉強させていただきました。もちろん研修そのものも大変勉強になりましたが、日本サッカー協会との人脈が強化できたことも大きな成果でした。今後も、隔年で派遣することが決定しており、マネジメントの共通言語を持つ人材が増えることによって、活動の幅も広がっていくことが期待されています。



 一生サッカーに関わっていたいという中学2年の時に見た夢の大きな果実となることでしょう。私のまわりはみんな同じようにサッカー一筋の人間ばかりです。そんな仲間と会議の合間に話すことといえば、「毎日、笑っているはず。年とったら、みんなで芝苅りしながら笑っていようや」そんなことばかりです。今年、41年目となる県サッカー協会。50周年記念は、完成したスタジアムで迎えるべく、一致団結して邁進していきたいと考えています。 

 

 
  
 
  








  

◎取材を終えて…
 実に楽しそうに、笑みを絶やさずサッカーのお話をされる上地理事。少年の頃、出会った夢とともにあることがいかに幸せなのかを感じざるを得ませんでした。同時に、大人が子ども達の未来のきっかけ作りをすることの大切さについて改めて考えさせられました。

 
●パーソナルデータ●
  

出身地/那覇市
趣味/木工
好きな言葉/夢実現

  
  
●オーガニゼーションデータ●
  2006/沖縄県サッカー協会専務理事就任    
   JFAスポーツマネージャー資格取得(沖縄初)
   
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