ぱっしょんリーダーに聞け! 


  



  


 文化服装学院卒業後、リゾートホテル内のブティックに勤めたり、喫茶店でアルバイトしながら、気ままに友達と遊ぶような暮らしをしており、積極的にスタイリストになろうなどとは考えていませんでした。ただ、私も女性のひとりですので、おしゃれは好きでしたし、ファッションにもメイクにも少なからず興味はありました。そんな時、友人を通して県内に本拠地を置くブティックのテレビコマーシャル撮影のお話が持ち上がり、初めてスタイリストのようなことをすることになりました。撮影は午前3時までかかりましたが、その時のギャラは安価でした…。今から30年近く前のことで、なかなか厳しい世界だなと思ったことを記憶しています。その後、間もなくして東京の雑誌のお仕事のお話をいただきました。東京からのモデルと沖縄側のモデルのヘアメイクを行うという仕事でした。メイク道具も持っていなかったので、知り合いの化粧品店の方からお借りしてという状態…。初めて雑誌に自分の名前がクレジットで出た時は、うれしかったですね。その時のギャラは6.6倍…。必ずしも金額で比較するものではないと思いますが、中央ではスタイリストやヘアメイクの仕事がここまで重要視されているのかと実感した時でした。これらの仕事を皮切りにいつの間にか県内外の広告代理店、出版社、デパートなどから声がかかるようになっていきました。次第にモデル育成の重要性を感じていたところ、セミプロで頑張っていた複数のモデルから、ウォーキングのレッスンを依頼され、結果、モデル事務所も兼ねることとなりました。その後、順調に仕事をこなして行きましたが、1988年、大病を患い入院。退院後は体力の限界を感じ、現場のスタイリスト、ヘアメイクの仕事をやめようと決心しました。かかってくる電話にお断りの返事をする時は辛いものがありました。一方でモデル事務所のマネジメンントに力を入れて行きました。それから数年、デパートへモデルの営業をかけた時のこと。スタイリストもお願いしたいというお話をいただいたのです。体力的に不安はありましたが、とりあえずやってみよう、どうせやるなら東京のと肩を並べるまでになりたいと思い、スタイリストの仕事を再開することになりました。以前のように、何もかもお引き受けするのではなく、この頃からファッションに特化した仕事を中心に行うようになりました。

 ヘアメイク、スタイリスト、モデルエージェンシーといつの間にか仕事の幅を広げていくうち、目標としてファッションショーに対応できる技術を持とうと思ってきました。そんな時、皇室のデザイナーとしても著名なデザイナーの先生のファッションショーが沖縄県内で開催されることになり、県外からのモデルに加え、県内から私共の5名が出ることになったのです。沖縄ではなかなか機会のないことで、晴れの舞台を控え、一同レッスンに励む毎日でした。ちょうどその前、もうお一方、著名デザイナーの先生が沖縄でファッションショーを開催されたのですが、厳しい結果に終わったことを伺っていたので、緊張もひとしおでした。しかし、目前に迫ったある日、モデルを何名かカットしてくれという申し出があったのです。この日のために、頑張ってきたモデルから誰かをカットするなんて到底考えられない状況でした。そこで、出演料は要らないから全員出演させてくださいとお願いしたのです。そこまで言うのならと、全員出させていただくことになりました。リハーサルが終わった直後のことです。担当者の方から「嶺井さんちょっと来て」と呼ばれました。控え室のドアを開けるとそこには、先生がお座りになっていたのです。そして一言「僕、君に謝らないといけない。ありがとう、福岡や大阪でもショーをやるけど、これだったら沖縄からよべるよ」とおっしゃっていただいたのです。この言葉ですべて報われた気がしました。大病を患いもしましたが、その後、今でもこの出来事が大きな支えとなっています。



 沖縄でスタイリスト、ヘアメイクが成り立つなどと考えてもみなかった時代に、チャンスに巡り合えた私はラッキーかもしれません。すべて手探りで、それこそお手本は雑誌を読みまくることだったり、また、東京から撮影隊が来ると聞けば、率先してお手伝いをするなどして、現場で仕事のノウハウを学びました。私は先生につくというスタートを切っていないので、方法論を具体的に提示することはありませんが、すべては、本人の心ひとつだと思います。チャンスが巡ってきたら、きちんと努力するということ…。そして、気配り、目配りがとても大切になります。見えない努力が、作品のグレードをあげているんですね。ファッションやヘアメイクへの関心はもちろんベースとして、プラス体力、精神力も必要です。例えば、沖縄の場合はとくに炎天下、海辺で何時間もモデルさんにつきっきりという状況が日常茶飯事。自分の日焼けは置いといて、モデルさんに集中しなければなりません。撮影中は夢中だからわかりませんが、終了後はかなり体力を消耗しています。また、スタジオ撮影の場合、朝から入って深夜ということも珍しくありません。一見、華やかで楽しそうですが、実は大変ハードな仕事なんです。では、なぜこんなに大変な仕事を続けて来られたのかというと、それは達成感でしょうね。毎回異なる現場で、ひとつひとつ作品を創造して、これが多くの方の目にふれる…。コマーシャル、雑誌、ファッションショーどれも同じことが言えます。時間的、体力的には大変な仕事かもしれませんが、それ以上の喜びがあるんですね。



 家業で父と兄が経営していた海辺のパーラーを私が引き継ぐことになりまして…。30年近くになるスタイリスト、ヘアメイク、マネジメントの仕事もまあ安定し、マネジメントは私が不在でも動かしてくれる人材も育ってきましたし、モデルも育ってきました。そこで、私はスタイリストとして動く他、当面は父と兄の遺志を引き継いで、家業を盛り立てていこうかと考えています。パーラーはモールのひとつとして出店していますが、約30年となるスタイリスト、ヘアメイク、マネジメントの経験を活かして、ちょっと今までにない、でも父と兄が作り上げてきたオキナワンアメリカンな雰囲気を残したショップにしていきたいなと考えています。店先には、私がお花を植栽しており、今、これに、はまっています。(笑)リピーターも増え、「ここ好きなのよね」というお声をいただいた時はうれしかったですね。  今後は、両輪がうまく回るように私なりに歩んでいきたいと思っています。

 

 
  
 
  








  

◎取材を終えて…
 時代の一瞬を表現するクリエイティブの世界においてスタイリストの存在は大きいものがあります。パイオニアとして約30年歩んで来られた嶺井さんは、今また新たな一歩を踏み出されました。何か新しいことが生まれそうなこれからの展開が楽しみです。

 
●パーソナルデータ●
  

出身地/那覇市
趣味/園芸
好きな言葉/心

  
  
●オーガニゼーションデータ●
  1980/スタイリストとして活動スタート
   
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