ぱっしょんリーダーに聞け! 


  



  


 多くの先生方からご教示いただいた中からお話させていただきますと、通常、箏曲とは、箏を単独、あるいは主体として用いた音楽をさしますが、琉球箏曲の場合は、琉球三味線音楽の発展とともに成長し、今日に至っているものです。伝来は、尚質王が世子をして、冊封使の従客、陣和州について学ばしめたが、それから50年後、徐葆光が来琉した時には、琴譜を残して、伝えは既に途絶えていたとのことです。その後、1702年、尚質王の時、稲嶺盛淳翁が、王命により、薩摩の服部清左衛門について、八橋流箏曲を学んで帰り、これを伝えたのがはじめとされています。伝来の曲は、瀧落菅攪、地菅攪、江戸菅攪、拍子菅攪、佐武也攪、六段菅攪、七段菅攪と船頭節、対馬節、源氏節の10曲となっております。菅攪は段の物と呼ばれ、声楽のない器楽であり、節名の付いている3曲は歌物です。これら10曲は箏独自のものとして保存、継承されています。



 少女の頃の記憶ですが、早朝、ラジオ放送がスタートする時間に流れてくる箏曲「瀧落(タチウトゥシ)」に心ひかれたことがきっかけです。爽やかな1日の始まりにふさわしいこの曲を聴くだけでなく、いつしか奏でてみたいと思うようになっていたのです。しかし、その頃、知り得る情報は、その楽器が箏だということのみ…。しかし、その音色に引き込まれていく気持ちは日毎に増していきました。が、ひとりで家計を支える母に箏を買って欲しいなどとは、なかなか言えることではありませんでした。それでも、箏を奏でたいという気持ちは抑えられず、高校生のある日、勇気を振り絞って、「箏を買って。必ずやり通すから」と願い出ました。私が高校生だった昭和30年代後半、当時は家庭に録音する家電などある時代ではありませんでした。ラジオ放送が始まるのを見計らって、真新しい箏を前に、必死で音を耳で拾いながら、聴いて稽古をしていました。何度も聴いていたので、ほどなく音を奏でることができました。今思えば、無垢に箏が好きだった少女時代が懐かしく感じられ、幼い日に頑張った自分を微笑ましくさえ思えます。しかし、当時は勤労が美徳とされており、早朝から箏を奏でるのは、なかなか厳しいものがありました。また、箏と唄が一体であることもわかり、独学で学ぶ限界を感じていました。そこで、大学進学を機に、与儀小枝子先生の門を叩くことにしたのです。大学卒業後、本格的に箏曲の稽古をスタート。お勤めを終えて那覇市与儀の与儀先生の元へ通い、与那原の自宅へ最終バスで帰るという生活が続きました。与儀先生のご指導のお陰で、新人賞、優秀賞、最高賞を 各々1年毎に受賞させていただき、最高賞から10ケ月で教師免許を取得させていただきました。そのうち箏の道に進もうと考え、お勤めも退職して、大好きな箏、箏、箏という日々が始まりました。



   勿論、長い間にはさまざまなことがありましたが、学生時代、お勤め時代を経て結婚後、出産後も好きな箏を続けて来られたことに感謝の一言しかありません。何もわからなかった私に箏のすべてをご教授くださった与儀先生をはじめ、諸先輩方、箏曲協会の皆様、お弟子さんたち、家族の存在があったからこその40年余だったと思います。


まずはその音色の美しさです。調弦の妙とでも申しますか、音によって古の琉球の世界をイメージすることができます。また、箏曲を奏でるには、その曲のひとつひとつの背景や意味合いなどを深く知る必要があります。琉球の歴史をひもといたり、言葉を調べるなどする度に、先人の素晴らしさに感じ入るにはいられません。箏曲を奏でるためにひもとく歴史が演奏に深みを与え、ひもといた知識は血となり肉となっていくのです。このように、琉球箏曲によって、演奏するこの喜びとともに、琉球そのものを知ることになるのです。私も、ひとつの曲を柱に、書籍や資料を開く度にさまざまなことを知ることになり、その度に新しい発見があります。

まずは後進の育成が第一です。箏は、高価であることや、大きいこともあり広い稽古場が必要ということもあって、なかなか門を叩いてくれる方が少ないのが現状です。今回、国の事業として、舞踊、地謡、三味線、箏、胡弓、太鼓のメンバーによって構成されている伝統舞踊保存会の名で、伝統文化子ども教室の一環として、琉球琴子ども教室を開いて、子ども達に箏を教えております。期間は、9月までの3ケ月間。人間国宝の照喜名先生の稽古場に箏を置かせていただいていますので、移動の必要がありません。これは大変助かっています。15名の子ども達も喜々として取り組んでおり、この中から将来、箏を続けてくれるお子さんがいたらと期待しております。続けなくとも、琉球の歴史を知るきっかけになればと考えています。稽古場に通うにあたっては、お母様方のご協力も大変重要です。このように、琉球の伝統芸能の継承、発展には、さまざまな力が必要なのです。この度は国のご協力がありましたが、今後は、各地域からお声がかかれば、琉球箏曲保存会としてご協力できればと考えています。琉球箏曲保存会は、現在会員800名余を数え、南部支部、那覇支部、中部支部、北部支部、八重山支部、ハワイ支部、ブラジル支部と県内は元より、海外にも裾野を広げています。今後は若い世代の育成を視野に活動して参りたいと考えます。会員とともに、地域に根ざした活動を通し、今後も琉球箏曲の普及・発展に努めて参る所存でございます。琉球箏曲が発展するためには、実演家の努力も勿論大切ですが、聴衆の皆様の存在なくしては叶わぬことです。ぜひ、演奏会に足をお運びくださいまして、忌憚ないご感想ご意見を賜りたいと存じます。沖縄には、世界に誇れる伝統文化が連綿と受け継がれておりますし、伝統音楽の演奏家から人間国宝も誕生しており、高い評価を得ています。どうぞ、足下である沖縄の古典音楽に親しんで、愛していただきたい、これは沖縄の皆様へのお願いです。

 
  
 
  








  

◎取材を終えて…
 静かな語り口の中にも琉球箏曲への熱い想いを感じるひと時でした。台風4号の最中も休まず稽古に励んだ子ども達のお話をされる上地会長の柔和な笑顔が印象的でした。このところ、沖縄音楽のブームとあいまって三味線が大きくクローズアップされていますが、箏曲の魅力をもっと知るべきだと考えさせられました。

 
●パーソナルデータ●
  

出身地/与那原町
好きな言葉/情熱

  
  
●オーガニゼーションデータ●
  1965/与儀小枝子師匠に師事
2000年/琉球箏曲保存会会長就任
   
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