ぱっしょんリーダーに聞け! 


  



  


  県内の大学を卒業後、東京で金融システムコンサルタントの仕事をしていましたが、次第にこれでいいのかという疑問が湧いてきました。大学では国際関係論を学び、若いこともあってグローバルな世界に憧れていました。大手町や九段という東京の真ん中で、10億20億というお金を売買して利ザヤを稼ぐというバーチャルな毎日はスリリングでとても充実していました。イギリス人の上司は、「結果に表れない努力は無意味」が持論。徹夜も当然、しかし結果が出ていれば何時に帰ろうがいいという世界でした。バリバリと働き、自分の力を試せる毎日はとても充実していましたが、バーチャルではなく、眼前に人がいて、直接何かをやってふれあえる仕事がしたいと思うようになっていきました。27歳、今飛び出さなければもう別の世界には行けないと思いきって退社しました。その時、思い出したのが、大学時代ヨーロッパを気ままに旅した時のことでした。旅行中、お金が底をつき、どうしようかと思案していたところ、アイルランドで知り合った友人が紹介してくれた知的障害者施設で働くことになったのです。バスを乗り継ぎ、現地ウェールズに到着したのは陽もとっぷり暮れた夜のこと。丘の上の大きな一軒家がある景色はまるでヒッチコックの映画のようでした。ここでの日々は、まさに魂と魂のふれあい…。すべてを超越し、人間同士、心響き合うことのすばらしさを知りました。学生時代のこの経験が原点にあり、社会福祉の道をめざすことになったのだと思います。退職後、アメリカで学ぼうと、一念発起し、カリフォルニア大学大学院バークレー校に入学し、社会福祉学老年学コースを選択しました。そして、1996年、29歳で帰沖。ちょうど介護保険制度導入前という時期でした。バブルがはじけて就職大氷河期という時代で、まったくコネクションもない状況。そこで、総合病院に飛び込み、就職が決定。ちょうど老人保健施設を立ち上げるという時期とも重なって、ソーシャルワーカーとして充実した毎日を送ることができました。ここで学んだことは、医療、介護、福祉に携わる喜びでした。金融コンサルタント時代、連日徹夜という経験もしましたが、向かっているのはパソコン。しかし、医療、介護、福祉の現場は人が相手なのです。例えば、夜中の病院。病人を見守るという独特の緊張感と優しさがないまぜに空気が満ちあふれています。また、おしめのぬくもりはこの仕事を象徴する大きな魅力のひとつだと思います。同じ徹夜でも、全く違う時間がそこにはあるのです。



 「在宅支援という形態で、浦添という地域に根ざし、僕らを必要とする人なら誰でも何でもやる」、そんな役割が必要になってきていると、総合病院勤務時代に考えるようになっていきました。もちろん、病院や施設が安心というニーズもあります。一方、在宅で、家族と共に過ごした自宅で暮らし、やがて終末を迎えたいという年輩者のニーズもあります。これに応えたいというのが僕の考えるところです。また老人介護に限らず、児童、障がい者(知的障がい・身体障がい・精神障がい)すべてを対象にしようと考えました。現在、福祉の世界は、例えば老人介護ならそれが限定するというタテ割りとなっていますが、この現状を打破できればと思っています。浦添という地域に限定したのは、僕の出身地だから。育ててもらった人々や地域のために、少しでも恩返しがしたいという思いからです。  なぜ、僕が在宅支援をサポートしようと思ったか、それは、家族と外出、外泊する時の、僕らには見せないお年寄りの笑顔が印象的だったからです。介護のプロとして、家族の皆さんのお手伝いをさせていただきながら、1日でも長く最後まで支えていく、これが僕らのめざすところです。  実は僕には長く入院していた母方の祖母がいました。幼い頃、よく「お母さんには内緒だよ」と言い、お小遣いをくれる優しい祖母でした。そんな祖母が、僕が10歳の時に病気を患ったのですが、お見舞いに行こうという母の誘いに応えず、部活などと言ってはとうとう10年間1度も病院には行きませんでした。そして、危篤となった小さな祖母に会った時、僕は何という取り返しのつかないことをしてしまったんだろうと悔いました。この仕事を選んだのは、そんな思いがどこかにあったからかもしれません。



 ソーシャルワークという仕事は、相談にのることが役割です。知識、ネットワークのすべてを駆使して、介護、経済的な問題などを解決していきます。本人を取り巻く家族、ドクター、ヘルパー、行政のすべてを調整し、各々を立てながら、頭を下げたり、リーダーシップを発揮したりと変幻自在に動いていかなければなりません。これもすべては対象となる本人がいかによい人生を送れるか、これが基本になっています。



 社会福祉の現場にいる者としては、財源の問題などあるかとは思いますが、他の支出を見直しても、福祉、介護に充当していく必要はあると思います。これまでの社会をつくって来られたお年寄りを厚く見守ることは、とても大切なことだと思います。現場を預かる者としては、常にコスト意識をもっていかなければなりませんが、対象となる皆さん、負担されている皆さんすべてが満足できる三方よしの精神で、努めていきたいと考えます。 

 アメリカでの大学院時代、アルツハイマーセンターに勤務していた時のこと、あるおばあさんに「人生は君が思っているほど、短くないよ。何度でもやり直せるよ」と言われたことがあります。逆のことはよく聞いていましたが、この言葉は大きかったですね。福祉、介護には、これから見直すべきところがたくさんあると思います。これはやらねばと思ったことがあった時は、この言葉を思い出しながら進んでいきたいと思います。  難病の子ども達の夢を叶える施設を沖縄につくることも夢のひとつです。これは、「KOKOLOプロジェクト」と言って、フロリダにある施設「ギブ・キッズ・ザ・ワールド」がモデルなのですが、重い難病とたたかっている子ども達に、沖縄で夢の時間を過ごしてほしい、そのための常設の宿泊施設を作ろうというコンセプトです。  ヨーロッパを旅したこと、東京での厳しい毎日、すべてが今のためにあるのだと今、実感しています。

 
  
 
  








  

◎取材を終えて…
 迷ったら立ち止まって考えてみる、それは決してムダではなく、次に咲く花のためのステップなのだと感じたひとときでした。10月に開催される5周年イベントにはKOKOLOプロジェクトと関連するメイク・ア・ウイッシュの方の講演も予定されているそうです。

 
●パーソナルデータ●
  

出身地/浦添市
好きな言葉/百花撩乱 強食弱肉
趣味/仕事

  
  
●オーガニゼーションデータ●
  2002/ライフサポートてだこ設立
   
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