ぱっしょんリーダーに聞け! 


  



  


  僕は石垣島の生まれなんですが、ご存じのように歌・踊りがとても盛んな島です。実は僕はあまり記憶にないんですが、2歳位から三味線や太鼓の音が聞こえてきたら踊っているような子どもだったそうです。そういう流れで自然に琉球舞踊を習うようになっていきました。ある時、沖縄本島から公演のためにやってきた大宜見小太郎先生率いる大伸座が子役を探しているということで、琉球舞踊を習っている子どもたちの中から僕が出演することになったのです。この時、3歳。初舞台でした。こうして芸能の道がスタートしました。その後、小学生、中学生時代は、ハーリー、豊年祭、結願祭などの祭りに参加していました。そして、八重山高校に入学後は、郷土芸能クラブに入部。しばらく途絶えていたのですが、僕たちの代で再び盛り上がり、後に後輩たちが大活躍しています。高校卒業後は、那覇に出まして、仕事をしながら琉舞道場で稽古を重ねていきました。  転機となったのは、ミュージカル「大航海」への出演の頃から。翌年には、「マリンロードの旅」と銘打った全国縦断の公演に参加、またブルネイ国立舞踊団との合同公演で全国をまわりました。ブルネイからの帰国後には、戦後50周年を機に企画された「洞窟(ガマ)」に出演させていただきました。このように「大航海」以後、さまざまなところからお声がかかり、各地の祭り・イベントへの出演や、司会の仕事、ラジオのDJ、婦人会の舞踊を教えるなど、広く芸能関連の仕事が増えていきました。長く勤務した職場を離れて本格的に芸能活動一本をスタートしたのもこの頃です。やっと、好きな芸の道で生きていける喜びでいっぱいでした。高校を卒業して那覇に出てから15年、なかなかいい役をいただけず悶々とした日々を送っていましたが、いつか必ずという思いから、いただいた役は心を込めて一生懸命頑張ってきました。いつ代役が来てもいいように、他の出演者のセリフもすべて覚えることが当たり前のようになっていきました。それも舞台が大好きで大好きでたまらないからなんですね。



 たくさんいますが、お一人あげるとすると兼城道子さんです。僕は5歳からの乙姫劇団ファン。女優さんだけで繰り広げる華やかな舞台が大好きなんですね。中でも副団長であった兼城道子さんの熱狂的なファン。男性の僕でしたが、ご縁があって25歳から5年間、付き人をさせていただきました。演技、化粧、髪結い(カラジ)、立ち居振る舞い、礼儀作法まですべてを教えていただきました。この5年間は今振り返ってみると僕の人生にとって、とても大切な時間だったと思います。



 やはり、芸を通しての多くの出会いですが、今、質問を受けて思い出したのは、担当のラジオ番組での出来事です。リクエストの殆どはハガキですが、ある時、封書でリクエストをいただきました。その内容は、お母さんが入院しており、お医者様からはあと1週間という宣告を受けているとのこと。病床にあって枕元のラジオから流れてくる僕のおしゃべりと民謡が何よりの楽しみ。せめて最後の親孝行に、リクエストを聞いてはもらえませんか…。という内容でした。番組後、気にかかったので、お花を携えてお見舞いに伺ったのです。たまたま病室にご家族がいらっしゃらなかったので、お見舞いのお花を残して帰ろうとした時、不意に大きな音を立ててしまったのです。まずいと思うや否や、眼を覚まされてしまったのです。見知らぬ僕の顔を見て、けげんな表情をされました。とっさに「母ちゃん、あんたの病気は小さいって聞いてるよ。病は気からって言うさ。早く治してよ。」という言葉が出てきました。そうしたら、そのお母さんが僕に向かって合掌したんですね。僕も祈るような気持ちで病院を後にしました。それから4ケ月後、ラジオ出演を終えると、面会があるとのこと。お話を伺うと、あのリクエストのお手紙をくださった方とそのご家族でした。1週間と言われたお母さんは4ケ月後に亡くなられ、その日が初七日。お礼のためにわざわざお見えになってくださったのです。このことが僕の芸に対する気持ちを新たにさせてくれました。僕のやっている仕事は皆様に夢と希望をさしあげる仕事、半端なことはできないと…。この出来事もそうですが、僕は出会うすべての皆様が師匠だと思っています。何も踊りや芝居の稽古をすることのみが修業ではないのです。普段、出会う皆様との語らいの中にたくさんの勉強をさせていただいているのです。多くの皆様との出会いが僕の喜びです。



 若い皆様の沖縄芝居離れが言われて久しいですが、ぜひ、演じる方も観客にも若い方が増えることを願っています。僕はお酒の時間をとても大切にしています。それは単にお酒が好きというわけではなく、そこで出会う人々との語らいを大切にしているからなんです。お酒の場で知り合い親しくなった若い方々が、最初はおつき合いという形で僕の舞台を見に来てくださり、それから沖縄芝居が面白いと言ってくれてリピーターになってくれています。そして、友達を誘ってさらにその友達が誘ってという…。その若い人たちが言うには、沖縄芝居は難しいと思っていたがそんなことない、若い自分たちでも楽しめると言ってくれるんです。  僕が考える舞台は、「今」を表現することなんです。なぜかと言えば、舞台に足を運んでくださるのは、「今」を生きる方たちだから。勿論、長く培われてきた伝統を重んじることも大切ですが芝居は生き物。伝統の世界である歌舞伎のセリフにも、「今」を感じさせるエッセンスが出てきます。客席に次第に増えてくる若い観客の皆様の姿に心からうれしく思い感謝しています。これを励みに演じる側の若手も刺激を受けております。次第に裾野が広がって、若い観客の皆様そして役者が増えていくとうれしいですね。  これからやってみたいことは、東京の国立劇場とアメリカのカーネギーホールで演じることと、沖縄の小さな村をまわって中央に出て来れないおじい、おばあに芝居を見せることができたらと考えています。  

 
  
 
  








  

◎取材を終えて…
 勉強のために、多忙な中、時間を作っては、歌舞伎座、明治座、国立劇場などへ出かけ、観劇を楽しみながら、刺激を受けていらっしゃるそうです。もうすぐ敬老の日、お年寄りを大切にする沖縄の9月は沖縄芝居の季節、各地でおじいおばあが武三座長を待っています。

 
●パーソナルデータ●
  

出身地/石垣市登野城 
好きな言葉/心
趣味/舞台

  
  
●オーガニゼーションデータ●
  1967/3歳で初舞台
1997/第1回座長公演
2007/芸歴40周年
   
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