
大学進学をめざして昭和38年、東京オリンピックの前年に上京。まずは進学資金を貯金しようと季節工としてジュース工場で働き始めました。1ケ月が経った頃、従業員の早朝の食事作りの係に欠員が出たことによって食事係をすることになり、働く時間が早朝となったことから、昼間英文タイプの学校に通うことにしました。その後、就職した頃に出会った茶道の先生から「大学もいいけど、女性ならではの職業がいいのでは?」という進言を受けました。そこで、和裁の専門学校に通うことにしたのです。その後、さらに住み込みで和裁の勉強を重ね、帰沖。26歳の時、学院を開きました。その頃、ちょうど(社)日本和裁士会が旅行に見えていることをニュースで知り、面会に行き、沖縄支部設立の交渉をしました。すぐに鹿児島支部に入り、1年後に沖縄支部ができました。私はまだ20代の若輩者でしたので、琉球大学に支部長のお願いをしに駆け込みました。学院スタートから間もなく、おかげ様で手に職をつけたいという女性が多く門を叩いてくださって大変多忙な日々を送っていました。そしてその忙しさがピークに達した海洋博開催前年、出産。七夕の日に生まれた娘が、生まれて間もなくダウン症であることがわかりました。これからは社会にお世話になることが多くなるだろうと考え、ガールスカウトの活動への参加をスタート。その後、娘の教育に役立てようと、日本女子大児童学科の通信コースに進学しました。勉強を重ねるうち、家政学も学ぶことになり、「衣」についても学ぶことにしたのです。実務で「縫うこと」を日常としていた私にとっては、とてもいいタイミングで学問として「衣」を学ぶ絶好の機会となりました。

沖縄縫い(ウチナーノーイ)という言葉自体は、元々なかったものですが、勉強を重ねるうち、自然に出て来たものです。
スタートとしての裁縫は東京での「和裁」でしたが、(社)日本和裁士会の会合で全国から集まる際、沖縄の裁縫のことについて聞かれる機会が増え、これはきちんと知識を得なければと思ったことが沖縄縫い(ウチナーノーイ)について調査するきっかけでした。私の先生は県立博物館の資料。時間を作っては資料と首っ引きで調べものをしていました。そこで見えたきたものは、「衣」から見える沖縄の文化でした。
例えば、琉球処分から廃藩置県に至る時代のこと。時の知事はいわゆる「大和文化」を廃藩置県直後の沖縄に浸透させるため、制度を強化するより指導官に日本文化を植え付けることが肝要と考えたようです。例えば琉装では帯を前に結びますが、和装は後ろに結びます。これを変えさせるなどして、日常の衣食住の些細な事柄から始めたのです。これは象徴的なエピソードだと思います。それでも、士族の方々は外出先から帰ると琉装(ウチナースガイ)に着替えて過ごしていたそうで、ウチナーンチュとしての誇りを持ち続けていたんですね。
現在は、「衣」に限らず、手作りでなくとも生活できる世の中ですが、歴史書をひもとくと、「食」とともに人生の通過儀礼において「衣」が果たす役割がいかに大きいかがよくわかります。産着に始まり成長に従って日々の着物を誂えていき、さらに婚礼、トウシビーなどの晴れの日のための着物などの多くを、家庭で縫っていたことを考えると、沖縄における「衣」における「縫い」の重要性を知ることができます。現在でも、カジマヤーなどには、沖縄独特の衣装を着用される方が多くいらっしゃることからも、いかにウチナーの「衣」文化が連綿と受け継がれているか、伺い知ることができます。
 おかげ様で助成をいただくことになりましたが、これからも励みなさいという激励と受け止め、気持ちを新たにしています。今回、これまで博物館通いで足で集めた資料や旧家の古老などからお聞きした事柄をまとめたものを沖縄大学大学院において修士論文「沖縄における縫い文化の探求」としました。最近「食育」が叫ばれていますが、「衣育」から学ぶこともたくさんあると思います。今後は、論文を冊子にして、県内の全中学校に配布し、講師として指導にあたることになっています。ひと頃は、家庭科で必ず運針を学んだものですが、今は授業にないようで、県内の一部高校生にアンケートをとったところ、運針という言葉を知っている生徒は全体の8%にすぎませんでした。いきなり大人になってから針を持つより少しでも経験したことがあれば、将来の職業選択にきっかけづくりにもなるのではないかと思います。
「ウチナーノーイ」を学ぶ中から、沖縄の歴史、先人の豊かな暮らしぶりにふれていただき、若いみなさんに地元沖縄の素晴らしさを知ってもらうとともに、沖縄を探求してもらうきっかけになればと思います。
 海外での縫製が増え、需要は今のところ年々減少傾向にある、これが現実です。しかし、細くとも長く続け、繋いで行くことが、今を生きる私たちの役目ではないかと思います。温故知新にめざめた若い世代が、「裁縫」にめざめてくださることが必ずあると思っています。

「沖縄の縫い文化」をテーマに勉強を重ねていますが、数ある歴史書を「縫い」という視点で読み解いていく作業はとても楽しいものです。今後は、「探求」が「探究」のレベルまでいくように努めていきたいと考えます。そして、その成果を沖縄において「和裁」と「沖縄縫い(ウチナーノーイ)」の双方を実践・研究している者として、次代へ繋いでいくことができればと思っています。 |