
沖縄はさまざまな国々の影響を受けながら独自の文化を形成してきましたが、髪(からじ)結いも大陸やアジアの影響を受けたのではないかと思われます。アジアの国々の人々が民族衣装を着用された時の髪型を拝見すると、同じ系列ではないかと、歴史のロマンとともに感じることができます。
そもそも髪(からじ)結いは、その昔は生活の一部でしたので、特別に守っていこうというものではなかったのです。日常の琉装とともにからじ結いが当たり前。その後、時代は流れ、洋装になるに従って、からじ結いは、琉球舞踊や芝居の世界に限られていくようになりました。その中でも髪(からじ)結いの名手と言われるのは、年輩者の方が中心になっていきました。そこで、後進に伝えていこうと玉木流髪(からじ)結いの始祖である私の母、玉木初枝が髪(からじ)結いという分野を築いたのです。
母は父である玉城盛義が主宰する南月舞劇団に入団、以後、乙姫劇団に入団。その芸歴は50年余りを数えました。私も幼い頃から芸事が好きで、芝居、琉球舞踊の世界に身を置いて参りましたので、幼い時から、髪(からじ)結いは身支度のひとつで、皆さんそうですが自分の手で結うことができます。しかし、次々と演目が変わる公演の際などは母の手を頼りにしていました。当初は、後を継ぐということなど念頭になく、好きな芸事に力を注いでいましたが、次第に母の仕事ぶりを近くで学ぶうち、その役割の重大さに感じ入っていきました。

ひとつは、身分、年齢などによってさまざまな結い方があるということです。いつの世も髪は女の命といわれますが、髪(からじ)結いには、沖縄女性の感性の豊かさを見ることができます。沖縄の歴史研究の先生から聞いた話によると、那覇の女性はお洒落だったようで、一度街中に出れば我こそはと髪型の美しさを競ったそうです。古き良き時代のお話、いいですよね(笑)。
玉木流では、代表的な5つのスタイルに名称を冠しております。位の高い王女は雅(みやび)結い、若衆は円(まー)結い、遊女は情(じょう)結い、乙女は和(なごみ)結い、田舎娘は民(みん)結いとなっております。これまで何気なく分けていたものを名称を付けることによって意識付けをはかろうというものです。
沖縄の髪(からじ)結いの大きな特徴は、髪を1本結い、後は各々の毛流れを見ながら櫛1本と手技によって作り上げて行くのです。髪はそれぞれ異なるもので、直毛から癖の強い方までありますし、頭の形もさまざまです。この特徴を捉えて髪(からじ)結いをつくることは、大変ではありますがこれこそ髪(からじ)結いの魅力です。各々の女性の美しさを引き出すのは、結髪師のやりがいといえましょう。
 はい、まだまだ若輩者ではありますが、多くの先輩方の力をお借りして襲名させていただきました。先代である母の思い、それは沖縄の昔ながらの女性の美をいつまでも伝えていきたいということ、私は微力ながら母の代からのお弟子さんのご協力を得ながら、さらに髪(からじ)結いの魅力を伝えて行きたいと考えています。
 現在、弟子は約50名ほどおります。美容師をされている方、琉球舞踊関連の方、ご自分の趣味として楽しまれていらっしゃる方、老人ホームで働いていらっしゃる方など、プロ志向から趣味の方まで幅広い志向の方が門を叩いてくださっています。中には80歳代の方もおいでになり、沖縄市からバスに揺られて1時間かけて通っていらっしゃいます。老人ホームで働いていらっしゃる方は、入所されているお年寄りの髪を結うなどされていらっしゃるそうです。中には男性の美容師の方もいらっしゃいます。うれしいことです。研究所の一員である喜瀬初子師範は、月1回、東京に通い沖縄の髪(からじ)結いの魅力を教えています。このように、次第に芸能関係以外にも裾野が広がっていることは大変喜ばしいことです。

私は、幼い頃から、舞踊、芝居など沖縄の芸事が大好きでした。現在、母から継いだ、玉木流琉装髪(からじ)結い研究所二代目であるとともに、玉城流玉扇福琳會会主であります。私の夢は、髪(からじ)結いをテーマとした舞踊劇を創作上演することなんです。これも、髪(からじ)結いを深めた先代の努力があったからだと思いを巡らせている次第です。髪(からじ)結いについて深めなければこの発想はなかったでしょう。
少し前までは、那覇の街をジーファーをさした髪(からじ)結いにウシンチーと呼ばれる帯を使用しない琉装独特の着付けで歩く方がいらっしゃいましたが、今ではそのようなお年寄りも見かけなくなりました。琉球の伝統美を次代に繋いで行くためにも、今後とも、弟子とともに研鑽を重ねて参りたいと考えております。 |