
今から35年前、うりずんを開いた頃はウイスキー全盛の時代で、泡盛を置いている店は少なかったんですね。泡盛専門店を開いた理由、それは直感ですね。振り返ってみると、東京で学生生活を送っていた頃、新宿御苑の近くに泡盛と沖縄料理を出してくれる専門店がありましてね、ホームシックにかかるとよく飲みに出かけていたんです。そこで泡盛を飲む度に沖縄を思い出していました。客にはウチナーンチュの転勤族や出張組、大学生などがいました。あの時、孤独なウチナーンチュを癒してくれた泡盛の存在がどこかに残っていたのだと思います。帰沖してしばらくは色々な仕事を経験しながら、桜坂にあった「おもろ」という当時珍しい泡盛専門店に通いつめていました。「うりずん」の名は、おもろに出てくる古い琉球のことばからその店の主がつけてくれました。開店当時は、泡盛にくわしい先輩方がご来店くださって未熟者の私に、泡盛はもちろんのこと沖縄の歴史、文化などについてさまざまなことを教えてくれました。また同年輩や後輩にも恵まれ、ありがたいことに開店以来の常連客も多くいます。
気がつけば35年、ここまで続けられたのは泡盛という世界に例をみない酒の力があったからだと思います。

泡盛と琉球料理は切っても切り離せないものです。琉球王朝時代、泡盛は王族が楽しんだエリートの酒でした。首里城には、専任の料理人がおり600年という宮廷料理文化が確立していました。まあ、その夢の再現ではないですが、開店当時現存していた57ケ所の泡盛を集め、同時に本格琉球料理をお出ししようと思ったわけなんです。しかし、なかなか料理人がみつからなかったんです。というのも、本格的に琉球料理を作られる方というのは、誇りがあったんですね。廃藩置県後、職を失った料理人は、その腕をかわれて、割烹や旅館などで料理を教えたり、行事で出張料理を行うなどして腕をふるっており、人々から尊敬される存在だったんです。ですから、酒場で出す料理を作るなど、とてもやってはもらえないという状況だったのです。この人だと思った具志堅のおばぁに拝み倒してやっと厨房に入ってもらい、1年間という期限付きでうりずんの料理人につきっきりで教えてもらうことになりました。ラフテー、ドゥルワカシー、中味汁といった琉球料理を手取り足取りていねいに教えてくれました。ドゥルワカシーを揚げた料理はドゥル天といって、今やうりずんの定番となっていますが、実は残ったドゥルワカシーをまかない料理で揚げてみただけなんですね。それがいつの間にか人気を得たというわけなんです。開店当時、ウチナーンチュばかりが並んでいたカウンターで常連客と若い観光客の女の子が並んで、泡盛と琉球料理を仲良く楽しんでいる光景は隔世の感があります。
世界にたくさんの料理がある中、フランス料理がなぜ世界一の料理の地位を確立したか…、それは国策だったからです。国をあげて料理人やソムリエの地位を向上させフランス料理やフランス産ワインの素晴らしさを広めた…。沖縄に今必要なことは、フランスが採った国策に学ぶ姿勢なのではないでしょうか?
 ウイスキー全盛だった時代も57ケ所もの事業所があった…。なぜなのかと不思議でならなかったですが、これは、沖縄の精神文化と泡盛が密接な関係にあるからなのだということに気がつきました。旧暦1日15日には火の神(ヒヌカン)に酒を捧げますが、それは日本酒ではなく絶対に泡盛ですし、毎月必ずと言っていいほどある祭祀にも泡盛がつきものです。いくら酒場では流行り廃りがあろうとも神へのそして祖先への祈りの印は地元の銘酒じゃないと「通らない」というわけです。これは600年連綿と受け継がれたウチナーンチュの思いそのものなんです。泡盛は、廃藩置県、沖縄戦などさまざまな歴史の荒波の中で、消えそうになりながらも、祈りの場で存在し続け、再びウチナーンチュの酒の席に戻ってきたばかりではなく、沖縄を訪れる観光客の皆さんの心をも引き付けています。沖縄においては全盛だと思われる泡盛も、しかし、全国ではまだまだその地位を確立していません。これからの課題ですね。泡盛は、琉球が生んだ大きな宝物、これを育てさらに輝かせ繋いでいくのは、今を生きる我々の役目です。
 沖縄戦ですべてが灰燼に帰してしまいましたが、その中には百年古酒もあったそうです。時を重ねれば重ねるほどにその美味しさが増す泡盛ですから、これは大変惜しい話しです。そこで、酒を酌み交わしながら先輩や仲間と話し合ったところ、「みんなで作ろう」ということになり、次世代に繋いでいこうと百年古酒をスタートすることにしたのです。戦争でモノは消えましたが、精神文化は残ったというわけです。1997年、その年を「泡盛百年古酒(むむとざき)元年」と銘打ち、今年で10周年を迎えます。あっという間でもあり、まだまだまだでもあります。首里王府が守り続けたものを戦争で失ってしまった我々ウチナーンチュは再び創り直さなければならないその責務があるのです。惜しむらくはうりずん開店当時つまり復帰時にこれをスタートしておけばと…。
僕自身は、百年古酒の美味を楽しむことはできません。しかし、次世代にその思いを伝えることはできます。その夢を語りながら飲む酒の味はまた格別です(笑)。
現在、会員は1万人、現在も会員募集中です。今年は10周年の節目の年ですので何かイベントをと考えています。
若い世代に沖縄の誇りを伝え、人の仕次ぎを行い、100年後琉球の宝として泡盛が輝いてくれているといいですね。

僕から泡盛を取ったら何も残らない…。毎日、泡盛に囲まれ、泡盛を酌み交わす皆さんとともにあって、楽しく過ごせており、日々が夢のようなものです。
今、泡盛がさらにブームになって県外において酒類の50%シェアを占めれば沖縄の経済を支えるでしょう。先人が作り上げた泡盛は、酒の質としては世界の中でも最高だと思います。これを広めることができなければ先人に申し訳ない…、県民総がかりで頑張れば伸ばせると僕は確信しています。若い観光客の女の子が美味しそうにうりずんのカウンターで泡盛を飲んでいる姿をみればわかります。
今年4月、東京駅の真ん前、新丸ビル内に東京うりずんがオープンしました。これまでたくさんの出店のお話しをいただきましたが、栄町うりずんひとつで手一杯ですべて断り続けてきました。今回はお話しをいただいてから3ケ月考え、機は熟したと判断し、偶然ではありますが、35年の記念の年に東京に出ることにしました。丸の内のサラリーマン、OLが泡盛を酌み交わす風景はいいものですよ。
沖縄は、首里王府の文化をなぞって今、進んでおり、これを追い越していません。泡盛を含め、先人の偉業を讃えながらも、これを大きくしていくことが我々の役目なのではないでしょうか。
どこの家にも古酒が寝ている、沖縄がクースアイランドになる…、これが夢ですかね。
|