ぱっしょんリーダーに聞け! 


  



  


 15歳の時、沖縄県内で、キャスティング及びスタイリングをされている方とご縁がありまして、気軽な気持ちでスタートしました。元々はあまり華やかなスポットライトが当たるようなことは得意ではなかったのですが、当時まだまだ子供だった私にとって、お声をかけてくださった方のお人柄に引き込まれたということでしょうか。優しくも厳しくご指導くださいました。県内の短大を卒業し、20歳で東京のモデルクラブからお声がかかり上京したのですが、方向性が私とは少し異なると感じ、沖縄へ帰ろうと思い、表参道を歩いていたところ、オスカープロモーションの方にスカウトされたんです。5年間所属し、モデルやタレントとして活動しました。



 まず、感じたことは沖縄で指導を受けたことは正しかったということです。高校生だった私は厳しいなと思ったこともあったのですが、東京はそれに輪をかけた状況でしたので、沖縄時代のご指導に感謝といったところでしたね。  私は、和服の仕事がとても多かったんですね。日本屈指のホテル内で美容室を開業され、皇室ともゆかりのある先生との出会いは大きかったと思います。モデルという仕事が、現場で与えられた衣装を着て仕事をこなすという単純なものではないことを厳しく教えられたのは、その先生からです。和服のショーに出演する準備段階として、日舞、鼓など、和の世界を知るようにご指導いただきました。鼓の音に合わせながら、ひたすら歩くというお稽古が続きました。和服を着る、そして、それをお客様にご披露するということが、いかに大きな意味を持つのかということを教えられました。そのバックボーンにあるものを学ばなければ、真に和服を着ることにはならないということなんですね。これは和服に限ったことでなく、モデルという仕事の奥の深さ、そして内面を磨くことの大切さということだったと思います。このように東京では、モデルを取り巻くプロフェッショナルの仕事ぶりに学ぶことばかりでした。例えば、あるスタイリストの方は、ロンドン、ニューヨークでメーカーのパタンナーをしていた方で、シチュエーションに合う服がない時は、作ってしまうんですね。また、待ち時間でのモデル同士のおしゃべりで驚いたのは、「最近どうしてるの?」という何気ない問いかけに帰ってくる答えは、「歌舞伎を見に行ったの」、「今、オペラにこってるの」、「最近、絵画を習い始めて…」、「ヴァイオリンやってるのよ」などといった答えが次々出てくるんですね。すべて、内面を充実させるために、それぞれ日々努力しているんですね。それも自主的に喜々として楽しんでいるんです。そこにいるだけで、オーラが立ち上るようなモデルっていますよね?それは、こんなバックボーンがあるからなんですね。



 東京でモデルとして頑張って5年を経た頃、そろそろ自分を磨く時間をと考え、見聞を広めるためにワシントンDCに留学しました。ちょうど、湾岸戦争の頃で、住んでいた街でも無事戦場から帰還した家の前には黄色い花、悲しい結果となった家には白い花が飾られるという、戦争という現実が生活の中にあるという時間を過ごしました。ここで学んだことは、出会った人、一期一会を大切にしようということでした。平和な日本で生まれ育った私にとって、とても貴重な体験だっと思います。その後1992年に帰郷。沖縄を拠点にモデルのお仕事を再開させ、2003年にオフィスリゾムを立ち上げました。当初は自分で事務所を設立するなどとは考えていなかったのですが、ミラノコレクションに出かける機会がありまして、その迫力、エネルギーに心動かされたのです。沖縄にはダイヤモンドの原石がたくさんいる、しかし、原石のままで終わってしまっている例がとても多いと感じていました。私がこれまで経験したことを活かして育ててみたいと、ミラノで思ったんです。当時、既に結婚しており、主婦であり2人の娘の母でもあったので、躊躇するところはありましたが、まわりの皆さんの「大丈夫、あなたならできる」、「協力するから」という声に後押しされて設立を決めました。家庭と仕事の両立、しかも声をかけられるモデルではなく、経営者、指導者として歩むことは並み大抵のことではないことはよく知っていました。それは15歳の頃出会った方と同じ道でした。人間として1人の女性としていいなと思っていたその方の生き方が、私のどこかに刷り込まれていたのかもしれませんね。事務所を設立して間もなく、3人目を妊娠。思わず頭を抱えましたが、スタッフやモデルたちに支えられ、ただいま子育てにも頑張っています。スタッフやモデルはもう、家族と同じですね。なるべく母乳で育てたいと言った私の言葉を覚えていてくれたスタッフが、名護で仕事をしていた私の元へわざわざ授乳のために、赤ちゃんを連れてきてくれたこともありました。本当にありがたいことです。現在、ベビーからシニアまで83名のモデルが所属し、4名のスタッフが私を支えてくれています。人に囲まれ、人を育て、人を感じる、それが私の仕事なのかもしれません。



 沖縄で、そして東京で、モデルとして学んだことは、外側に出てくる魅力は、内面を磨いてこそということです。もちろん、ウォーキングレッスン、ポージングなどモデルとして身につけなければならないことはたくさんありますが、溢れ出るようなオーラは、心を磨かなければならないということです。それは、読書でもいい、沖縄の心を知るために琉球舞踊でもいい、和に興味があれば茶道や日舞を習ってもいい。日々、向上しようという気持ちってとても大切だと思うんですね。これは自戒を込めてお話しています。また、出会った人々を大切に思う心も育てたいと思っています。不思議と人間性は画面や誌面に表れるもので、もちろんそのためによい心を持ちなさいということでなく、普段からの心の有り様が大切だということです。このように、お話していることは、すべて、これまで出会った皆さんに教えていただいたことばかり。本当に感謝の一言に尽きます。

 目標を現実的なものとしてとらえると、パリコレなどの海外コレクションに自分で育てたモデルを出したいということでしょうか。夢の答えは難しいところですが、私は毎朝、毎夕、私のまわりの人々が心穏やかにすごせますように、そして無事1日を終えられてありがとうございますと祈ります。何かひとつ欠けても夢は叶わない…、まだ明確な夢を語れませんが、今のところ、これが基本だと思っていますので、まわりの人々が笑っていられて幸せがつづきますようにと祈っています。

 
  
 
  








  

◎取材を終えて…
 仕事を終えたスタッフやモデルと夕食を共にすることは日常のことと笑う喜屋武さん。心を育てることこそ第一と考える喜屋武さんらしいお話です。元気なスタッフの方の間のいい、あいの手が入る楽しい取材でした。

 
●パーソナルデータ●
  

出身地/那覇市
趣味/読書・お掃除
好きな言葉/不動心

  
  
●オーガニゼーションデータ●
  1981/モデル活動スタート
2003/オフィスリゾム設立
2007/オキナワコレクション2008    
   衣装・スタイリング担当
   
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