ぱっしょんリーダーに聞け! 


  



  


  絵を描くことが好きで、中学生時代に美術クラブに所属しており、その頃びんがたに魅力を感じるようになり、首里高校の染織科に進学しました。卒業後もびんがたを続けたくて工房へ入ることを希望しましたが、今ほどびんがたが注目されておらず、何度もお願いしたのですが、工房入りはなりませんでした。東京のデザイン専門学校で学び卒業を迎えたその頃、照屋敏子さんという女性企業家が貿易の世界で活躍されていました。女性で海外に向けて仕事をしている姿に、人物として魅力を感じ、工房に入れないのならこの方の下で学んでみたいと考えるようになりました。何度か打診しましたが、断られたため、履歴書と思いを綴った手紙をお送りしました。そして、晴れて照屋社長の下で働くことができるようになったのです。当時、宝石や皮革などを中心に事業を展開されていましたが、ある時、社長に私の経歴を話す機会があり、実は工房でびんがたを学びたかったことを告げました。すると、「いずれ宝石の時代は終わる、びんがたをやりなさい」という言葉をいただきました。そして、あれよあれよと言う間に、びんがた部という部署ができたのです。7年間、照屋社長の下で、運営や経営などについて学びました。また、びんがたのルーツである中国、バティックの本場インドネシアなど、海外の視察にも出かけました。今の私があるのは、照屋社長の下で学んだからだと心から感謝しています。



 復帰直前当時まで、びんがたの材料は東京や京都から仕入れていたのですが、取り引きが難しいという現状にありました。そこで、材料を仕入れる仕事をスタートさせると同時に教室を始めることにしました。びんがたが素晴らしい伝統工芸であること、そしてそれを沖縄の家庭の中で楽しんでほしいという思いがずっとありましたが、びんがたについて沖縄でもまだまだ知られていない時代でした。当初は、本土からの転勤族の奥様が多かったですね。沖縄を離れた現在も引き続き製作をされていらっしゃる方もいます。直後に、那覇市内のショッピングセンター内にオープンしたカルチャーセンターで教えることになりました。この頃から県内の奥様の間にもびんがたを学ぶことが広まって行きました。さらに、各地にカルチャーセンターが続々オープンし、びんがたは定番となっていったのです。自分で作ったびんがたを家庭に飾る…、この喜びを知っていただけること、次第に輪が広がっていく実感に喜びを感じ始めたのもこの頃です。そして、カルチャーセンターの生徒さんの中から、本格的に勉強を続けたいという方が出てきまして、工房で学んでいくという道筋ができるようになり、現在に至っています。12年前には、その仲間同士で、一染会という研究グループも発足しました。1年に1回、定期的にファッションショーを開催していますが、自分で作ったびんがたで自分がモデルになって楽しくしている様子を見ていると私もうれしくなります。



 当初、教材用として仕立てて染めていたのですが、おとひめサンダルの宮城さんとの会話の中で、沖縄の木を使って、持ち手を琉球漆器とし、堆錦を入れ留め金に琉球ガラスを使うことにしました。すべての材料が高価なものになりますので、これは年間数本という生産量となります。一方、普及版も製作しており、幅広いニーズに応えています。  沖縄の工芸は、これまで、単独で作られていることが多かったのですが、これからはびんがたをはじめとする染め、織り、漆器、琉球がラスなど、相互にコラボレーションする時代がきていると思います。工房では、1993年よりかりゆしウェアの製作も行っておりますが、現在、新たに、手染めとプリントを合わせたシリーズを開発中です。手染めを着たいけれども、毎日のことだし、高価だからと手を伸ばせない状況にあった多くの皆さんに着ていただければと考えます。また、木工作家の方とのコラボレーションで、照明の開発も行っています。昼間は、びんがたをアートとして飾り、夜は灯りを点して異なる魅力を楽しんでいただこうというものです。このように、有機的に工芸がコラボレーションすることで新たな可能性が生まれており、着眼点によって、今後ますます広がっていくものと考えます。



 長年のカルチャーセンター系の活動によって、家庭で楽しんでいただくびんがたの裾野は大きく広がってきました。現在は、組合においてプロをめざす後継者育成にも力を入れています。沖縄が心強いのは、他府県においては、若年者層の担い手が少ない現状にあるようですが、県内においては、たくさんの若者が手を挙げてくれています。私達は、先人が伝えてきた正しい技術の継承を第一に、さらに新しいものを作っていこうとする気概を養うことも必要です。基本をしっかりしてこそ、新しいものを作れる素地ができるのです。びんがたに限らず伝統工芸は、一人前になるまでに時間が必要です。今後は、継続して行こうとする精神面の教育も行っていかなかればならないと考えています。また、小中高校における指導も行っており、子供の頃指導を受けたことがきっかけで、びんがたの道を志したという後継者の声を聞くこともあり、そんな時うれしい気持ちがします。最近は若い男性の希望者も多く、大いに期待しています。

 私自身の職人としての世界を広げることもありますが、今後は産業につなげることが私共の大きな課題であると考えます。伝統工芸として、観賞用としてのびんがたも勿論大切にしていかなければなりませんんが、流通にのせていく工夫も大切なのです。もうひとつ、びんがた会館を建てることも目標です。びんがたの拠点を作り、個々で頑張っている作家、職人が集い、相互のコミュニケーションの場、技術交流の場とし、さらには、観光立県を標榜している沖縄を訪れる観光客の皆さんがびんがたを学べる拠点にもしたいのです。今、長い歴史を持つびんがたが、今後ますます発展していくための分岐点にあるのではないでしょうか。私は、びんがたという素晴らしい伝統工芸のもっと大きな可能性を信じており、パリコレやミラノコレなど、世界の舞台で一流のモデルがびんがたを着て闊歩する姿をイメージしています。

 

 
  
 
  








  

◎取材を終えて…
 伝統を踏まえながらも、時代に合致した新たなびんがた工芸を生み出そうとする情熱を感じたひとときでした。世界の一流モデルがびんがたを着てキャットウォークを歩む日、楽しみです。

 
●パーソナルデータ●
  

出身地/那覇市
好きな言葉/継続は力なり

  
  
●オーガニゼーションデータ●
  1998/沖縄県産業まつり最優秀賞受賞
2003/日本民芸公募展優秀賞受賞
2006/経済産業大臣賞受賞
   
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