
私は、おもにファッションを中心とするスタイリストからスタートしましたが、食に関するコーディネートの仕事も多くさせていただいてきました。そして、2000年、40歳になる年、雑誌の仕事で「2000年に残したい琉球料理」というテーマをいただいたのです。ちょうど、西暦が変わる年と、40歳になる節目の年で、このテーマを見た時「私、残せない…」って思ったんです。琉球料理の先生が次々に料理を作られて、私がコーディネートをしていく作業が無事終了した後、その先生に「作り方を教えてください」とお願いしたのです。その先生の答えは「あなた、仕事やめる気ありますか?」という言葉でした。専門学校の学生として入学しなければならず、スタイリストの仕事をやめなければならなかったのです。まだスタイリストとして頑張っていこうと考えていたので、そこは曲げられませんでした。どうしてもあきらめられなかったところ、以前からコーディネートの仕事でごいっしょさせていただいていた料理学校の先生にご相談することにしました。その先生の下で、スタイリストをしながら、勉強する方法で、2000年から2007年まで、お世話になりました。その間、自然の流れで、スタイリストの仕事よりもフードコーディネーターの仕事の比率が高くなっていきました。スタイリング、ヘアメイク、フードすべてをこなすことに次第に矛盾を感じ始め、料理1本でいこうと考えていくようになり、2003年に、以前から知り合いだった東京のフードコーディネーターの先生の学校説明会に出向きました。「東京に住んで、お手伝いさせていただきます」と頭を下げたら、いつもおだやかな先生が、「あなたには、沖縄の文化があるのに、なぜ、フレンチ、イタリアンを学ぼうとしているの?」とたしなめられてしまったのです。私には、沖縄を拠点にして、東京へ仕事に出向くという夢があり、そのことを話すと「それならばなおさら、あなたの中に既にバックボーンとして存在する沖縄の伝統料理を学んだ方がいいわよ。東京には琉球料理のコーディネートができるコーディネーター、いないわよ」と言われたのです。入学願書を前にして、もう目からうろこでした。そして、沖縄に残って料理学校の助手としてさらに勉強を続けていきました。
昨年、そろそろ自分でクッキングスタジオを開こうと、場所を探し始めました。私らしい場所はどこだろう?私らしいやり方は?と色々考えるうち、市場によく買い物に行くし、顔なじみもたくさんいる…。市場で開く地域密着型の料理教室という形態も面白いかなって思ったんです。なかなかいい場所がみつからなかった時、以前から知り合いだったてんぶす館の館長から、ちょうど調理施設の活用方法を考えていたというお話をいただき、インキュベート施設というのも魅力で、無理なくスタートすることができました。

対象は県内の皆さんと、観光客の皆さんで、気軽に受講できる1回1回完結のシングルコースシステムを採用しています。メニューは週変わりなので、受けたいメニューがありましたら、1週間のうちの都合のいい日を選んでいただけるというものです。
メニュー構成は、菜飯やルーイゾーメンなどの宮廷料理から島人参と鶏肉のシンジムンや三月菓子などの行事料理・家庭料理、さらには、アーサと桜エビの揚げ物や島野菜ピクルスなどの島素材を使用したアレンジ料理など、幅広く教えています。その背景にある歴史、文化なども交え、楽しい時間を過ごしていただいています。30代〜40代の女性が多く、私も同世代ですが、そろそろ法事を自分で仕切る立場になる世代で、使命感があるんですね。「姑さんや母親からも習うけれど、正式に習いたかったんです。でも敷居が高いイメージがあって…」というお声をお聞きします。肩の力を抜いて、気軽に琉球料理が習える場所として位置付けています。また、公設市場に近いということもあって、レッスンが終わったらレシピを持ってその足で材料を買い出しに行けたり、観光客の方は宅配便の手配も簡単にできるなどの利便性もあります。公設市場には、1階で食材を手に入れて2階で調理をしてもらうというシステムが定着していますが、自分で作ってみたいという方も増えているようです。生徒さんの中には、通常の観光旅行で沖縄にいらして、リピーターとなり、ウイークリーマンションに長期滞在し、市場に通って沖縄料理を作っているという方もいらっしゃるんですね。「市場をめぐっていて知らない食材だったものが、メニューの中にあってうれしかった」などという声もいただきました。微力ではありますが、市場と料理の作り手をつなぐような役目ができればいいなと思っています。
 そうですね、あっという間の出来事ですが、ヘアメイク・ファッションからスタートして、お声がかかり、クッキングのスタイリングをする中から、現在への道に辿り着きました。私は仕事の経験を重ねることで、多くの皆さんとの出会いがあって、自分の道を探すことができました。今思えば、すべてはチャンスだと考え、受け入れることが大切だと思えるようになりました。
 身体の調子があまりよくない時は、チムシンジやカチューユーを作るという母の下、沖縄の典型的な家庭で生まれ育った私ならではのポジションを活かしながら、県内の皆さんそして観光客の皆さんに、楽しくゆったりとした雰囲気で琉球料理を教えていきたいと考えます。幼い頃は、あまり好きではなかった琉球料理の栄養面を学ぶうち、その素晴らしさに改めて思いを深めています。沖縄を拠点に東京からお声がかかる仕事がしたいという目標も、少しづつ叶ってきました。藤沢にある沖縄好きな皆さんが集まるバーで沖縄料理を教える機会を得ています。このことを教室でお話しましたら、生徒さんの中に偶然、近くの方がいらして、次回から参加してくださることになりました。このような、人と人のつながりの積み重ねがこれまでの私を支えてくださってきたのだと思います。近々には、ハワイから25名の方がおいでになります。外国人という予定にはなかった展開もあり、今後が楽しみです。微力ながら、食を通じてお役に立てればと考えます。
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