ぱっしょんリーダーに聞け! 


  



  


 20歳代後半になった頃、当時会社員だったのですが、生涯やっていける仕事とは何だろうと考え始め、紅型や陶器など沖縄の伝統工芸について調べ始めました。その中に紙漉きがあり、伝承者である勝公彦先生を訪ねたことがそもそものきっかけです。先生の仕事ぶりを拝見したり、お借りした書籍を読んだりする中から、次第に紙漉きをやっていきたいと考えるようになり、弟子入りしました。最初の半年間は、自分の紙漉き場の設置と先生の指導の下、道具作りを行いました。採寸から始まり図面まで、すべて自分の手で行うという方針でしたが、これは、道具の構造を知っておけば壊れた際の修理に役立つという考え方からでした。



 手漉き和紙ができるまでには、刈り取ってきた原木を蒸し器で蒸す「原木蒸し」↓蒸した後、冷水をかけ原木の皮を剥ぐ「剥皮作業」↓川の清らかな流れに数日浸け白くさらす「さらし」↓保存の為の「乾燥」↓一晩水につけた後、沸騰した湯にソーダ灰を入れて皮を煮る「煮熟」↓煮えた皮を水で流す「アク抜き」↓皮についている黒皮を取り除く「ちり取り」↓木槌で細かくなるまで叩く「叩解」↓水を張った漉き舟の中に紙料とネリを入れ、すげたで漉く「紙漉き」↓漉いた紙の水分を圧搾機で絞る「圧搾」↓板に張り付けて天日乾燥する「板干し」↓乾燥し仕上がった紙を1枚1枚選別する「選別」という12のプロセスをたどっていきます。プロセスの中で動作が重要なのが「紙漉き」です。弟子入り後は、先生の動作を見ながらひたすら道具に慣れ、身体で覚えるという毎日でした。マニュアルがあるものではないので、目で見てさわって、すべては感覚で覚えるしかありません。



 勝公彦先生は、師である安部榮四郎先生の夢であった琉球紙再興の役目を志願し、1977年沖縄に移住し、翌年芭蕉紙を復元しました。以降、西表小中学校の卒業証書用紙の紙漉き指導、県功労章の表彰状用紙、子ども向けの和紙づくり指導、個展開催など、精力的に活動されてきましたが、私が弟子入りした4年後、病により40歳の若さで逝去されました。その年は、海邦国体の年で、私共弟子が引き継ぐ形で、芭蕉紙の賞状用紙を造りました。修業半ば、師を失いながらも、その後は勝先生から教えていただいたすべてを基本にしながらも失敗と成功を繰り返す試行錯誤の毎日が続きました。



 1988年、手漉琉球紙工房「蕉紙菴」を開設、翌年、東京において、第1回「蕉風会展」に出品を果たすことができました。その後、沖縄県功労章賞状用紙(芭蕉紙)や県指定文化財指定書及び認定書用紙、石垣市文化財指定書用紙などの抄造をさせていただきました。東京で第1回を開催した「蕉風会展」は、記念となる第10回を沖縄で開催致しました。これには感慨深いものがありましたね。その他、個展やジャンルの異なる皆さんとの合同展などを開催しています。

 紙自身の魅力は、沖縄の風土に育まれた素材を活かした自然の風合いでしょう。作る魅力としていえることは、紙作りそのものが自然とともにあるということです。例えば、天日干しをする日は、日の出と同時に天日干し作業がスタートできるように逆算し、日の入りには作業を終えるように工程を組みます。また、梅雨時は、油断するとせっかく準備してきた途中工程で腐ってしまうことがありますが、これも生きているという証し。すべては自然にさからわず合わせていくことが大切なんだと、20年を超えた今、深く思っています。

 首里儀保の現在、蕉紙菴がある場所は、琉球王国時代、公に使う上質の紙であった「百田紙」を製作した王府の紙漉き所跡となっています。近くには、紙漉御殿があったという歴史ある地で、私の前に勝先生が工房を構えた場所です。紙の製作には、きれいで豊富な水が必要なんですね。首里には、多くの水場が存在し、琉球王国時代から、紙漉きが盛んな場所でした。大正から昭和初期頃には、55もの紙屋があったそうです。蕉紙菴の近くには、宝口樋川(たからぐちひーじゃー)、儀保川(じーぶがー)などがありますが、粘土質のクチャと呼ばれる土を通って流れ出る水は、アルカリ性で、紙漉きに適しています。 工房のすぐ近くは交通量の多い場所ですが、一歩奥に入った工房周辺は多種多様な植物が自生している自然豊かな場所となっています。毎日眺めている植物を紙製作に活かせないかと考え、沖縄の植物によって染めた蕉紙菴オリジナル紙製作を行っています。ヨモギ、ヤマグワ、クロトン、ゲッキツ、リュウキュウコクタン、ゲットウ、ソウシジュ、ヒカンザクラ、フクギなど、現在のところ23種類を数えます。これも試行錯誤の連続です。例えばヒカンザクラですが、乾燥した素材がたまたまあったので染めてみたところ成功。次に生の木を使ってみたら見事に(笑)染まらなかったんですね。教科書やマニュアルがあるわけではないので、すべてが自分の工夫次第。大変ですが成功した時は、やはりうれしいですし、ひとつひとつの経験が次へのステップになっていくわけですね。

 勝先生に師事して4年、その後工房を構えて活動して参りましたが、今後は、他ジャンルのアーチストの皆さんと交流をはかり、新たな創作の世界を広げていければと考えています。また、琉球紙を確立した先人と復興に尽力された安部先生、勝先生に報いるためにも、伝承していかなければなりません。勝先生の意志を受け継ぎ、本島小中学校や県立芸大、各講座などで紙漉きの指導を行っていますが、今ますますその活動を盛んに行っていきたいと考えています。

 

 
  
 
  








  

◎取材を終えて…
 かつて紙漉御殿があったという首里の面影を色濃く残す工房界隈には、植物がうっそうと自生し、小鳥がさえずり、子ども達のはしゃぐ声が響き渡る風光明媚な場所でした。

 
●パーソナルデータ●
  

出身地/那覇市松川
好きな言葉/継続は力なり
趣味/琉球古典音楽

  
  
●オーガニゼーションデータ●
  1983/勝公彦に弟子入り
1988/手漉琉球紙工房蕉紙菴開設
   
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