ぱっしょんリーダーに聞け! 


  



  


之典 小さい頃から漫画を読んだり、テレビを見たり、年子の弟と3人揃って夢中になっていました。次第に、自分達で作ってみたくなり、漫画を書くようになり、友達の間で回し読みしてもらっていました。
一哲 子供の頃は漫画家になりたかったですね。
之典 僕達が子供の頃は、あまり情報量もなかったのですが、逆に、限られたものに集中してのめり込んでいきました。
一哲 中学生位になると、夏休みに読谷から那覇までバスで出かけ、映画をハシゴしたり本屋さんへ映画やアニメの本を探しにいきました。インターネットもない時代ですので、同人誌やホビー本が僕らの情報源のすべてでした。
之典 小学生でスタートした漫画制作を皮切りに、子供向け番組「ひらけ!ポンキッキ」や粘土の人形が出る飲料のコマーシャルなどに夢中になり、いつしか自分達で作ろうということになったんです。
一哲 特撮の神様と言われるレイ・ハリーハウゼンの「恐竜100万年」、「シンドバッド」シリーズ、デビッド・アレン、ジム・ダンフォースらの「おかしなおかしな石器人」などの人形アニメ=ダイナメーションに、もう夢中になりましたね。
之典 実家は電器店を営んでおり、父親も撮影することが好きで、模合やビーチパーティなどを撮影して近所の子供に見せるなどしていたものですから、ラッキーなことに映像の道具が身近にあったんですね。そこで、父親が外出している間に、ビデオ撮影するなどしていました。
一哲 中一の時には、プラモデルのガンダムを使って、コマ撮りで撮影を始めるようになっていきました。
之典 通販で手に入れた特殊ゴムで人形を作るなどしたのですが、すべて自己流なのでなかなかうまく行かず、あまりに大切にしてベッドの下におき、豆腐状になったこともありました。(笑)高価なもので、もう泣きそうでしたね。こうして中高生時代には、人形、マスク、漫画、キャラクター制作に夢中でした。
一哲 そんな少年時代を送り、情報が集まっていくと、やはり本場はロスだということがわかっていき、次第に高校卒業したらロスに行こうと思うようになっていったんです。直接ロスに行きたかったのですが、母親のすすめがあって、シアトルで語学学校に通うことにしました。



一哲 シアトルは快適でしたが、心はロスに向かっていたので、学校の休日を利用して年子の弟と3人でロスのスタジオに行くようになりました。
之典 お金もないので、車での移動でしたが、カメラを回し、ロードムービーよろしく楽しんでいました。勉強しながらコツコツ作品制作したものを持ち歩き、ハリウッドのSFXスタジオに見せて回っていました。そして、「帝都大戦」を代表作とするスクリーミング・マッド・ジョージ氏の元で働き始めるようになりました。「ミミック」、「コンエアー」、「とうもろこし畑の子供達」などのお手伝いをしました。ここには1年いて、基礎的なことを学びました。
一哲 その後フリーになり、少年時代から憧れだったデビッド・アレンとともに仕事をさせていただくことになりました。もう夢見心地でしたね。
之典 デビッドからは、人形アニメ、人形制作、デザイン、ミニチュア撮影法、パペティア(人形操作)などを学びました。その間、仕事の合間を見て、8mmアニメを制作してデビッドにプレゼンテーションしていました。
一哲 サンタモニカの海岸で人形を砂浜に置いて撮影したりしましたね。観光客もたくさんいるような場所ですが、気にせず没頭していました。(笑)
之典 アメリカで学んだことは、「作る」ということの本質です。依頼された制作物がいかにうまくできるかという着地を念頭に、道具から自分達で作るんですね。クリエイターは、各々ツールボックスを携帯しているものですが、みんな個性的で、見ているだけで勉強になるんです。
一哲 帰国後も、100円ショップやホームセンターにちょくちょく足を運び、道具のヒントを探しています。 また、沖縄の土、クチャや赤土を原料とした粘土制作も行っています。



一哲 ビザの関係でアメリカから1997年に帰沖しました。もっといたい気持ちもありましたが、切り替えてアメリカで学んだことを国内で活かしていこうと考えるようになりました。
之典 一度は東京に出たこともありました。映画「学校の怪談4」などのSFXに関わりましたが、僕らは沖縄育ちで仕事はアメリカ。沖縄とアメリカのリズムは似ていて、どうもそのリズムが具合がいいと感じ、沖縄に戻って来ました。でも、沖縄にいることで東京の情報も入ってくるので、もしチャンスがあれば、東京ベースの仕事もやっていきたいですね。
一哲 1999年からは、地元沖縄をベースとし、子供の頃から大好きだった絵本「鉄の子カナヒル」の人形アニメーション化をスタートさせました。
之典 人形アニメはコツコツと時間を積み重ねていく超アナログな手法なものですから、9年の月日をかけて昨年やっと完成しました。制作は沖縄で、僕らの家族、親戚もかなり活躍しています。(笑)昔の沖縄の着物について知っている僕達の母親が衣装担当になっており、ウチナーンチュじゃないとわからないことってたくさんあるんですね。
一哲 おかげさまで、「鉄の子カナヒル」は国内の映画館からお声がかかり、昨年の東京国際映画祭コンテンツマーケットに無料出展させていただきました。またこの7月には名古屋の劇場での上映と、子供向けのワークショップも決まっています。
之典 最近は、トークショーへのお誘いもあるのですが、口下手なものですから、尻込みするんですけれども、自分達がやってきたことをお話することによって、人形アニメや映画制作への関心が高まってくれることを考えて、頑張って参加しています。 
一哲 新作の沖縄の歌を披露しようというミュージックビデオの制作や、劇場のワークショップの講師や大学の講師などもさせていただいております。

之典 新たな映画制作をやりたいですね。テーマもいくつかあって現在思案中です。また、できたばかりの「鉄の子カナヒル」を多くの方にご覧になっていただきたいです。
一哲 そのためのプロモーション活動もしっかりやっていきたいですね。
之典 僕達が学んできたアナログの手づくり感と日進月歩で技術が進むデジタルのシャープな感じが合わさると面白いことができると思います。
一哲 あと、県産土産DVD制作もやってみたいですね。沖縄を拠点に東京そしてハリウッドをなど外国とも仕事をしていきたいですね。

 

 
  
 
  








  

◎取材を終えて…
 ハリウッド仕込みの感性と技術を持つクリエイターって?と取材を始めたら、肩の力が抜けた、でも、確固とした核を持つウチナーンチュがいました。ますますの活躍に期待しましょう。

 
●パーソナルデータ●
  

出身地/読谷村
好きな言葉/一哲・ロマンとソロバン       
      之典・ダイナメーション
趣味/一哲・映画鑑賞・読書・写真    
   之典・音楽鑑賞

  
  
●オーガニゼーションデータ●
  1991/渡米
2007/「鉄の子カナヒル」完成
   
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