
21歳の頃、友人からカメラを借りて写真撮影したことがきっかけで、バイトしてお金がある程度貯まると、離島へ撮影旅行に出かけるようになりました。現像に出したら8000円かかったことで、自宅に暗室を作ったのもこの頃です(笑)。路地裏の風景、ポートレート、猫、女性やゲイのヌードなどありとあらゆるものを被写体としていました。趣味として写真撮影を楽しんでいたのですが、1995年の「少女暴行事件」をきっかけに趣味の写真からジャーナリスティックな道へ次第に移行していきました。同じ時期、あるミュージシャンのツアーに同行しノルウエー人のカメラマンに出会ったのですが、単に目の前にあるものを撮影するのではなく、テーマを持って動くということを知ったこともきっかけになったと思います。そこで、本格的に写真をやっていこうと思い、24歳の時、上京し、フォトジャーナリズムの講習会に通いました。上京した頃、広告写真のスタジオで働き始めたのですが、どうも合わなくて3ケ月で辞めて、その後、朝夕刊の新聞配達で生活費を稼いでいました。その間、新宿の女性ホームレスと知り合い、コミュニケーションを重ねる中から撮影を許され、生活ぶりを写真におさめました。結果、「国境なき医師団」より優秀賞をいただきました。お金を貯めては撮影という生活をしていた頃、アメリカの同時多発テロがあったのです。その時、三重県で季節労働をしていましたが、これをきっかけに中東に行きたいと考えるようになりました。

2002年から2005年にかけて6回渡りました。初めて渡った2002年、パレスチナへ行きましたが、イランのクルド人監督バフマン・ゴバディ氏との出会いでクルド人の存在を知り、どうしてもイラクのクルド人に会いたいと思うようになっていきましたが、ビザがおりず、イラクに入ることができなかったんです。そこで、2003年、イランからイラクに密入しました。米軍空爆の予想もありましたが、行ってみたい気持ちの方が強く、危険をあまり感じていませんでした。興味ある対象を見たい、撮影したいという、それだけでしたね。入国して1週間後に、開戦。入国してクルド人自治区の民間組織に従軍する経験もしました。その後、バグダッド陥落の3日後から3ケ月間、バグダッドに滞在。フセインの家にトラックで乗り付けて家財道具を略奪するシーンや暴動も目の前で見ました。空爆も時折あり、その度に黄砂が噴煙になって舞い上がる独特の匂いや空気は今も思い出されます。イラクでは、銃撃され、首と胴体がバラバラになった息子を目の前に呆然とする父親と出会いました。撮影の許可を得て、その悲惨な戦争の現実を写真におさめました。「伝えてくれ」と託された父親の思いを伝えることが僕の役割なのだと強く思いました。どんな理由があろうとも戦争をしてはならない、イラクで思ったことはこの一言に尽きます。
 はい、撮影を始めて約15年、写真点数は10万枚になりました。イラク戦争を撮影したことで、インパクトある題材だったこともあり、「戦争写真家」というイメージが強くなっていることに違和感があって、このへんでリセットしようと思ったんですね。新宿の女性ホームレス、米軍基地がある沖縄の街の風景、モンゴルのマンホールチルドレン、イスラエル占領下のパレスチナ難民、そしてイラク戦争などといった内容になっています。観光客が行き交う国際通りで、写真をプリントしたTシャツ、バッグ、絵ハガキなどと一緒に販売しています。写真集だけだとなかなか足を止めてくれないのですが、Tシャツがきっかけで、写真集を開いてくれ、購入してくれる観光客もいます。ウチナーンチュ、観光客を問わず、不特定多数の方の目に触れられるようにと国際通りを選びました。僕達、沖縄で生まれ育った人間は、多かれ少なかれ家族や学校の先生などから沖縄戦の話しを聞いて、イデオロギーを抜きにして心の中に反戦の灯があるはずです。しかし、とくに若い人は何らかの行動に移すということはなかなか難しいものです。そこで、僭越ながら僕の撮影した写真を見ることで、戦争や平和について考える敷居が低くなってくれればと思っています。

取材させていただいた新宿の女性ホームレスの方は、その後、自殺する結果となりました。その要因のひとつとして、男性ホームレスから暴行を受け、男性ホームレスと新宿警察署に対して裁判を起こしたことを取り上げた週刊誌の記事が事実と全く異なる内容であったことがあげられますが、もしかして僕もその発端になったのではと思い、人生を左右した事実にしばらく落ち込んだ時期もありました。しかし、光の当たらない人達の現状を伝え、社会に訴えることが、少しでも人々の暮らしが良い方向に向かうきっかけにもなるのだと考えるに至りました。イラクでも悲しみにくれる家族が意を決して撮影をさせてくれた…、僕にファインダーをのぞかせることを許してくれた多くの人々があったからこその15年だったと思います。

今は、15年撮影した写真を世に問い、戦争と平和について共に考える時かなと思っています。僕の祖父は戦時中サイパンにいて、その惨状は親類からもよく聞かされていました。また、僕の父は沖縄戦体験者なのですが全盲で祖母といっしょに糸満にいて捕虜になった経験を持っています。爆風を五感で感じた話やイカの腐った匂いが死体だった話しなどをよく聞かされていました。僕にとって一番重いテーマは、沖縄なのだと感じています。今後は沖縄をテーマとし、地上戦という悲惨な経験をした土地から外に発信できればと考えています。
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